本論『ものまねボイトレ』
第2章は、カラオケで100点を取るより、聴く人の心が感動する歌を歌おう、といった内容を述べています。
第2章「『歌ウマ』への道は、ふたつある」
前章では、カラオケの機械採点で75点でも「歌ウマ」になれる、と申し上げました。
そして、何度も何度も「歌ウマ」という言葉を使いました。
でも「歌ウマ」って何でしょう?
まだ定義をしていませんでしたよね。
大きく分けて、ふたつの意味合いが「歌ウマ」という言葉には込められていると思うのです。
ひとつは、「楽譜どおりに歌う」という意味です。
もうひとつが、「聴く人の心が感動する」という意味です。
これら以外にもあるのかもしれませんが、ぼくは大きくこのふたつを考えています。
「楽譜どおりに歌う」というのは、つまり、カラオケの機械採点で100点をとるように歌うということです。
このWebサイトは、そっちの方向には進まないと、前章で申し上げました。
カラオケで100点をめざしている人は、どうか、音楽大学の声楽科を出たような先生のいるボイトレ教室へ行っていただきたいと思います。
ぼくでは役立たずです。
残るは「聴く人の心が感動する」という意味のほうです。
つまり、このWebサイトでは、「歌ウマ」とは、聴く人の心が感動するような歌を歌う人のことだ、と定義したいのです。
といいますか、そっちの方向をめざして行きたいのです。
人の耳で聴いて、心が動く。
そんなあたりまえのことが、現代では、やや忘れられつつあると憂慮しています。
自分の気持ちより、AI(人工知能)の数値のほうが信頼される、なんて…。
ちょっとそれは、おかしい、と思うのです。
他のことならば、まぁ、AIを信じてもいいです。
AIがアタマ良いのは確かですからね。
でも、「歌」についてだけは、そうそう簡単に譲れません。
ぼくは「歌」が好きですから。
カラオケの機械採点で何点を出そうと、「歌ウマ」か「歌ヘタ」かには、関係ありません。
暴論かもしれませんが、このWebサイトでは、そう考えます。
聴く人の心が感動するかどうか?
それだけが指標です。
このWebサイトの道しるべです。
では、どうしたら、聴く人の心が動くのでしょうか?
じつは、この問題は、それほど簡単ではありません。
長年にわたりぼくは「歌」を研究してきましたが、いまだにコレといった研究成果をみつけたことがありません。
いろいろな学者先生、歌手、音楽家、ボイトレ講師、などなど、さまざまな文献にあたりました。
でも、明快な答えが、いまだ存在しないのです。
仮説としては、さまざまにあります。
しかし、どれもピンと来ません。
たとえば、「エモーショナルに歌え」説。
歌い手の情熱が聴き手の心を動かすのだから、情熱的に歌えば、聴く人の心が動くはずだ、といった考え方です。
あるいは、「小さな技術の積み重ね」説。
こぶし、しゃくりあげなど、譜面にのらない細かいテクニックを習得すべし、といった説です。
これらの仮説ひとつひとつは、かならずしも間違っているわけではないです。
でも、木を見て森を見ずといいますか、それだけじゃないだろう、って感想も持ってしまうのです。
たとえば、歌い手の情熱が聴き手に伝わる、というのは自然な考え方ですけど、体調がわるくて、けだるく歌ったら、それが好評だったなんてことも、けっこう起こりうるのです。
となると、じゃあ情熱ってなんだ? って話になりますよね。
これを止揚するために、また別の説が必要になって…、そこで矛盾が起きれば、また別の説が…。。。
このように百家争鳴の中にあって、ぼくなりに「こうじゃないのかなぁ…」と思いいたった答えがあります。
それが「声質」です。
声質の良し悪しが、感動の分水嶺だ、と思いいたったのです。
「歌」以外に取りえがなくて、基本アタマのわるい人間ですから、正しいのかどうかはわかりません。
でも、長年にわたり「歌」を研究してきたぼくが出した、ひとつの解答です。
自信を持っています。
良い声質で歌われた歌は、聴く人を感動せしめるのです。
今ぼくは、そう考えています。
声練屋やすべぇ(こえねりや・やすべぇ)
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