概論『ものまねボイトレ』
手っとり早く『ものまねボイトレ』の要点をつかみたい人へ向けて、超カンタンにまとめてみました。
概論『ものまねボイトレ』
「ものまねボイトレ」とは、モノマネを使ったボイス・トレーニング、つまり、歌うまメソッドのことです。
なぜ、モノマネで歌うことが良いのかを、簡単に述べてみたいと思います。
人が、「キミ、歌、うまいねぇ」と言う場合、ふたつの意味があるようです。
ひとつは、楽譜どおりに歌っているという意味です。つまり、カラオケの機械採点で100点をねらえるぐらい「歌がうまい」ということですね。
もうひとつは、「感動した」という意味です。「なんだかわからないけど、あなたの歌を聴いて心が動かされた」という思いを伝えるときにも、人は「歌がうまい」といった表現をもちいるようです。
おそらくあなたも、ほかの人の歌を聴いて「うまいなぁ」と感じるときには、このふたつのうち、どちらかをイメージしていることでしょう。
楽譜どおり正確に歌う、という方法論については、けっこう色々に考えられてきています。
音楽大学の声楽科などは、そういった研究をする場所だと言ってもいいでしょう。
ところが、人が歌を聴いて感動する理由のほうは、歴史的に、それほど深く考察されてきていませんでした。
ゆえに、なぜ歌を聴くと感動するのか、その理由が完全に解明されているわけではないのです。
このため、いろいろな人が、いろいろな「説」をとなえています。
たとえば、よく言われるのが、「エモーショナルに歌え」といった方法論です。
歌い手の熱量こそが聴き手の心を揺さぶる、といった考え方ですね。
あるいは、こぶしやビブラート、しゃくりあげ等々の、テクニカルな論点で考える人もいます。
楽譜には記載できない、ちいさな技術の積み重ねが大切だといった考え方ですね。
こういったものも、もちろん大事なのでしょう。
でも、いちばん大事なものが抜けています。
それは、声質です。
声質の良し悪しこそが、その要因の大部分をしめているとぼくは考えています。
つまり、良い声質で歌われた歌を聴くと、人は心を動かされるのです。
とくに日本人は、声質に強いこだわりを持っています。
では、「良い声質」とは、どういったものを言うのでしょうか?
その人にいちばんふさわしい、ベストな声質こそが、「良い声質」です。
ほかの人にとって良い声質が、あなたが歌うにあたって良い声質だとは限りません。
逆に、あなたにとって良い声質が、ほかの人が歌うにあたり良い声質だとも限りません。
健康診断の適正値みたいに、○○Hz〜××Hzのあいだの周波数の声です、とか言えないのです。
いつもぼくは野球というスポーツの「フォーム」と関連付けて考えてしまいます。
投球フォームや打撃フォームと言う場合の「フォーム」ですね。
野球とは、ベストなフォームを見つ出すための競技だ、といっても過言ではないとぼくは思っています。
あの伝説のパイオニア・野茂英雄投手は、トルネード投法を見つけ出せたからこそ一流選手になれました。
あの偉大な打者・イチロー選手も、振り子打法を見つけ出せたからこそ一流選手になれたのです。
逆ではありません。
かんちがいしやすい所ですので、気をつけてくださいね。
一流選手だからベスト・フォームを見つけ出せたのではありません。
ベスト・フォームを見つけ出せたから一流選手になれたのです。
と、ぼくは考えています。
といいますか、すべての身体操作が同じかもしれません。
自分にいちばんふさわしいフォームを見つけられるかどうかが、すべての身体操作にとって最重要課題なのです。
陸上競技の100メートル走なんて、まさにそれだけのために練習しているようなものですよね。
その点、野球は、サインとか配球とか頭を使うこともありますけどね。
陸上とか、水泳とか、シンプルな競技ほど、ベストなフォームを追い求めるための練習をくりかえしていると思います。
「歌う」という行為も、けっこうシンプルな身体操作です。
ベストなフォームを見つけ出せるかどうかが、最も重要な課題だと思うのです。
「歌にとってのフォーム」とは、発声の様式のことです。つまり、端的にいえば、発声器官のカタチです。
ところが、ノドなど発声器官の大半は、外から見えません。
視覚的にフォームを確認することができないのです。
でも大丈夫。
フォームの変化は声質に現れます。
口腔など、音の反響する場所・形・角度などが変化すると、声質が変わってくるのです。
つまり、ベストなフォームを見つけるということは、ベストな声質を見つけ出すことと、イコールだと言えます。
では、どうやったら、自分にとっていちばんふさわしい声質を見つけられるのでしょうか?
その方法論として、ぼくは「モノマネ」を提唱しています。
なぜ「モノマネ」が良いのか?
これも野球と関連して考えてしまいます。
野球に詳しくない人にとっては分かりにくいかもしれませんが、いましばらくご容赦願います。
いまプロ野球の選手で、子供のころに有名選手のフォームのモノマネをしなかった人は、いないと思います。
いろいろな有名選手の投球フォームや打撃フォームを真似しまくったハズです。
べつに、プロ野球選手にアンケートを取ったわけでもないですから、絶対にそうだ、とは言えませんけど…。
でも、おそらく間違いありません。
なぜか?
「学ぶ」は「まねぶ」だからです。
模倣こそ、すべての学習の基礎です。
この、最も重要な基礎を無視して、自分なりの個性を持ったフォームを築き上げるなんてことは、不可能だからです。
これは、習字や野球など、すべての身体操作について当てはまるハズです。
それなのに、なぜか「歌」については、基礎を無視して、「これが私の声だ」と勝手に判断してる人が大半なのです。
人は自分自身のことがいちばんわからない、というのも、よく言われることですよね。
「ひとのふり見て、わがふり直せ」といった格言を出すまでもなく、第三者の視点を持つことは、自分自身をみつめなおすための有効な方法論です。
「歌」も同じなのです。
モノマネを提唱するゆえんです。
でも「モノマネ」のための「モノマネ」ではありません。
自分の本当の声を手に入れるための「ものまねボイトレ」です。
あなたも、「ものまねボイトレ」をやってみませんか?
声練屋やすべぇ(こえねりや・やすべぇ)
「本論」のもくじは、以下です。
第1章「カラオケの採点なんて、歌にはぜんぜん関係ない」
第2章「『歌ウマ』への道は、ふたつある」
第3章「良い声とは、その人に合ったいちばんふさわしい声」
第4章「日本人の耳をあなどるなかれ」
第5章「すべての身体操作は、自分にふさわしいフォームを探し求めている」
第6章「発声法を知らずにぼくらは育った」
第7章「モノマネは似てなくていいの?」
第8章「モノマネで得た声は捨てましょう」
第9章「『ものまねボイトレ』の具体的なトレーニング方法」